体育座りはいつから始まったか

体育座りはいつから始まったか

誰もが子供の頃に経験する日本特有の座り方に、体育座たいいくすわりがある。地域によっては「体操座り」「三角座り」とも呼ばれる。体育座りとは、子供の頃に教わる、膝を両手で抱えるようにして座る姿勢で、海外には存在せず、どうやら日本でだけ取り入れられている習慣のようだ。アメリカにも、中国にも、韓国にも、フランスやイギリスにも体育座りはない。先生に、「きちんと座って」と言われれば、彼らはあぐらで座ると言う。

フランス、イギリスなどにはなかったです。体育座りのかわりに、先生が『きちんと座って下さい』と言ったら、あぐらをかきます。出典 : 「体育座りって何ですか?」外国人が驚いた日本だけ通じる学校の常識

韓国人がよくあぐらかいたり、 カフェでもどこでもそうしてるのは知ってましたがさすがにそれは、 誰もがやっているから目を瞑ってるだけかと思ってました……まさか礼儀が良い座り方だったとは。。

私「じゃあさ、 体育座りは?」

韓「なにそれ? 体育? なんで体育?」

私「こうやって座るやつ(やってみせる)」

韓「それがなんで体育なの?」

私「え、 体育の時こうやって座るからだよ。 え、 こうやって座らないの?」

韓「ええ!? そんな座り方したら後ろにひっくり返っちゃうよ!!」出典 : あぐらと体育座りは韓国ではね

そのため、体育座りを端的に英語で表現する言葉もない。日本の子供たちは、体育座りを学校など教育現場の指導で自然と身につける。別段、体育座りの由来や理由について疑問に思うことはなく、教師は生徒に体育座りを行うよう指示し、生徒もまた習慣化している。やがて誰に指示されることもなく、無意識のうちに自分から体育座りを行うようになる。この体育座りが強要する姿勢は、子供たちに一つの振る舞いを強制する効果がある、と演出家の竹内敏晴氏は語る。それが、自縄自縛じじょうじばくである。体育座りは、自分の手で自分を縛る。肩をすぼめ、胸を圧迫する。教員や学校に対する「手も足も出ない」「息を殺している」状態を身体に内面化させる。こうした一つの「システム」によって、上位権力に対する「姿勢メンタリティ」が植え付けられていく。

いつもいつもこの形を強制することは、教員にたいする、ひいては学校、いや外界にたいする一つの身構えを恒常化することを強いることだ。(竹内敏晴『思想する「からだ」』より

精神的に追い詰められ、世界が重くのしかかってくるとき、深層心理には、体育座りをする少年少女がいる。それは、子供時代に培われたものと言えるかもしれない。そもそも、この体育座りという試みは、一体なぜ、いつから始められたものなのだろうか。日本の教育現場における体育座りを、誰が、どのような経緯で導入したかといった詳細は、はっきりしたことが分からない。ただ、時期としては、戦後しばらく経った1958年(1965年という説もある)、文部省の「集団行動指導の手びき」によって徐々に浸透し、70年代にかけて全国に広がっていったようだ。戦前までの日本人の座り方と言えば、あぐらや正座が主だった(さらに遡れば、安座や楽立膝が昔の日本人の座り方だった)。教員の人々も、体育座りが存在する理由について考えたこともなかったと言う。

身体の管理は、精神の管理にも繋がる。体育座りの存在理由について疑問を持たないまま、持てないまま、自らの手で身動きを封じる、「自縄自縛」の精神がじわりじわりと沁みついているのかもしれない。

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