ラジオドラマ『宇宙戦争』で火星人襲来パニックの嘘

ラジオドラマ『宇宙戦争』で火星人襲来パニックの嘘

メディアと集団パニックに関する有名なエピソードとして、1938年にアメリカで生じた、H・G・ウェルズ原作のラジオドラマ『宇宙戦争』を聴いていたリスナーたちが、フィクションである16本の触手を持つ火星人の襲来を信じ、大規模なパニックになった、という話がある。

1938年10月30日のこと、アメリカのラジオ局「CBS」の番組「The Mercury Theatre on the Air(マーキュリーシアター)」の放送中に、曲が中断、臨時ニュースが入り、キャスターが興奮気味に「火星人が地球に襲来、現地の住民が次々殺害された」と伝える。

この放送に対し、フィクションであるにもかかわらず、本当だと思った人々がパニックになり、全米の幹線道路は、恐怖や不安に陥って避難する自動車で溢れ、街は身を守るために銃や武器を携えて逃げる人たちで混乱し、自殺やパニックによって死亡した事例もあるなど、大規模パニックがアメリカの多くの人々に広がり、その規模は全土に渡ったと言う。

しかし、この全米を揺るがすパニック騒動は、相当の嘘(誇張)が含まれた、ある種の都市伝説で、実際はそれほど大きなパニックは起きていなかったと、現在では考えられている。

たとえば、ラジオ放送の終了直前にタクシーに乗っていたラジオ編集者は、マンハッタンの街は静かでパニックは起きていなかったと回想録で書いている。他にも、数日後の新聞で、この夜は平穏だった、という読者の手紙が紹介されているという話もある。

また、ある調査によれば、その夜、ラジオで『宇宙戦争』を聴いていた人は全体の2%に過ぎない極少数派で、裏番組で人気のコメディ番組が放送されていたこともあり、聴取率自体が低かった。

その聴いていた人々の多くも、冒頭でフィクションである旨の説明もあり、毎週のリスナーなら当然そのこと(この番組が、毎回有名な小説をドラマ化していること)を承知し、ラジオドラマをちゃんとフィクションとして認識していた。

考えてみれば、ドラマをドラマとして楽しんでいた人がほとんどだろうし、今のようにSNSもない時代に、それほど瞬く間に情報が拡散され、全土がパニックに陥るほどの事態になることは、なかなか難しいように思う。

加えて、もし、それほどの大規模な騒動が本当に起こったなら、しばらく新聞報道も続きそうなものだが、数日後には関連報道も急激に減少し、番組の関係者など、誰かが責任を負って処分されたということもなかった。

それでは、一体なぜ、『宇宙戦争』の火星人襲来で大規模なパニック、という話が真実のようにして広く伝わったかと言うと、『宇宙戦争』の放送翌日、新聞が、この一件をセンセーショナルに報じたことが理由として挙げられる。

当時、新しいメディアであったラジオは市民からの人気を博し、従来影響力を持っていた新聞メディアから広告を奪っていたがゆえに、新聞や雑誌社が、ラジオの情報の信頼性を貶めるために『宇宙戦争』の騒動を利用したという背景があったとされる。

今でも、新聞やテレビが、ニューメディアであるインターネットの信憑性について疑問を呈するように、当時も、新聞社はラジオに対し、似たような態度を取ったということなのだろう。

新聞による報道の影響が大きく、このエピソードを、新聞を通して事後的に知った大勢の人々の集団的な記憶として、火星人襲来の大規模パニックが、事実のこととして植え付けられることとなる。

また、もう一つの原因として、社会心理学者のキャントリルの研究の影響も指摘されている。

キャントリルの研究では、パニックの様子を誇張して伝えた新聞報道からしばらく経ち、これが事実としてある程度浸透したあとの調査をもとにしていること、また、使用した感情カテゴリーの分類も、「驚いた」「不安になった」「興奮した」と回答した人たちを一纏めに「パニックに陥った人々」に数えていた。

結果、キャントリルは、約100万人が『宇宙戦争』でパニックに陥ったと報告し、ラジオの影響力を誇張するような研究を発表した。

新聞は競合するニューメディアの「ハロウィンのいたずら」番組に過剰反応したが、実際にパニック発生で生じたとされたショック死や軍隊出動の記録は確認されていない。ロックフェラー財団の資金援助で行われたキャントリルのラジオ研究(『火星からの侵入』)では、ラジオの効果を強調すべく、聴取者の反応が過大に評価されていた。 – 佐藤卓己『現代メディア史 新版』

キャントリルが学術界から高い評価を受けたことによって、この『宇宙戦争』のパニックに関する調査も、信頼できるものとして広く知れ渡ることとなる。

全くパニックが起きなかったわけではなく、局地的にパニックは起こったようだが、それでも、新聞メディアや研究によって、相当の誇張が含まれた話になっていることは確かのようだ。

このラジオドラマを朗読していた、映画監督で俳優のオーソン・ウェルズも、晩年、「ほとんどは新聞社の思い込みによるでっちあげだった。ちょうどラジオに広告を取られ始めていた時期で、新聞としては逆転のチャンスと、つい勇み足をしたんだな」と語っている。

また、新聞社側オールドメディアだけでなく、ラジオ側ニューメディアにも、ラジオという媒体の大衆への影響力を誇示する思惑もあったと指摘されている。自分たちのメディアは、これほど人々に影響を与えられる、という証左として利用したのだろう。

様々な思惑が重なり、『宇宙戦争』で全米がパニック、という一つの「物語」が、「現実」として信じられるようになったと言えるかもしれない。

この一件から分かることは、メディアの情報によって大衆があっという間にパニックになる、ということ以上に、メディアと科学によって別の「現実」が作り出せる、ということではないだろうか。

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