「いーけないんだ、いけないんだ、先生に言ってやろ」歌詞や起源

「いーけないんだ、いけないんだ、先生に言ってやろ」の歌詞や起源

子供の頃に感覚的に嫌だなと思っていた歌が、告げ口のときに囃し立てるように言う「いーけないんだ、いけないんだ、先生に言ってやろ」。あれは一体いくつくらいの頃に、誰から教わったのだろう。年齢としては、幼稚園の頃にはすでに誰かが言っていたような気がする。親から教わった覚えもないし、先生が、わざわざ自分への告げ口のための歌を教えていたのだろうか。全国的に存在するようなので、何かのテレビ番組の影響だろうか。また、今の子供たちも告げ口のときに歌っているのだろうか。

子供心に、あのときの声が苦手だった。自分が物凄く罪深いことをし、「先生」に言いつけられる、というときの不安感や胸の痛み、「いーけないんだ、いけないんだ、先生に言ってやろ」という(拍子に合わせて人差し指を上下に動かして、何度も指差していたような記憶もある)他人を責めるとき特有の声の調子が嫌だった。

この「いーけないんだ、いけないんだ」の歌は、全国各地に存在し、歌詞は地域ごとで方言が混じっているなど違いも見られるようだ。

僕の生まれ育った地域は関東で、歌詞の冒頭は、「いーけないんだ、いけないんだ」だった。これは全国的にオーソドックスな形で、関東では、他に、「あらら、こらら」が多く、「ありゃりゃこりゃりゃ」「あややこやや(栃木)」「あーらっせ、こーらっせ(千葉)」などもある。

関西地方では、「いってやろ、いってやろ(近畿、中国)」「ゆーたーろ、ゆーたーろ(近畿)」「いやや、こやや(近畿)」「いーしゃーしゃ、こーしゃーしゃ(大阪、京都、奈良)」など、また、「わーりっちゃ、わーりっちゃ(福井)」「まーねんだ、まーねんだ(青森)」といった風に、地域によって形が様々ある。地域ごとの歌詞については、『日本各地の「先生に言ってやろ」コレクション』『都道府県「先生に言ってやろう」マップ』に詳しく纏められている。

歌詞は色々あるにしても、曲だけは概ね共通しているようだ。

絶妙に不安感を引き起こさせる曲調である。突然、ぞろぞろとクラスメイトたちが周囲を取り囲み、指を差しながら、この告げ口の歌を歌い続ける、という悪夢でもありそうだ。作曲者は不明で、いつからどういう経緯で広まったのかも謎であり、昭和20年代には歌われていたのではないかという話もあるが、はっきりとした起源はわからない。

昭和30年代に小学生でした。 「あーららこらら いーけないんだ、いけないんだ せーんせーにいってやろ」 でしたね。 (神奈川県ですが、多分東京あたりでも同じだったと思います) その当時、年上の友達が同じ囃し唄を歌ってましたので、まず間違いなく昭和20年代からあったものだと思います。もっと古いかもしれません。

–  参照 : 戦前戦後の「先生に言ってやろ」

ネット上の掲示板を見ていると、戦前からあったという書き込みや、海外の古い民謡が起源だという書き込みもあったが、これも真実かどうかは確認のしようがない。

それにしても、インターネットもない、場合によってはテレビもない時代に、全国の子供たちが同じ曲調で歌っている、ということが驚きで、だとすれば、ある時期に、国が教育の一環として広く教えたか、もっと古くから浸透している伝統的なものなのかもしれない。でも、前者なら記録が残っているだろうから、もしかしたら相当長い歴史や文化的背景があるのだろうか。

どこか「世間様」や「お天道様」が見ている、といったメンタリティにも通じるものがあるような気もする。そもそも、先生に言うなら、さっさと先生に言えばいい話で、わざわざ「先生に言ってやろ」と宣言する必要もない。実際に先生に告げ口され、怒られた記憶よりも、この「先生に言ってやろ」という事前忠告の歌のほうが印象に残っているということは、周囲に見つかり、告げ口をされる、ということを心理的に植え付けることのほうが、意味合いとして大きいのかもしれない。

気づいたら子供たちの世界に溶け込み、違和感なく行われるようになり、そのことが将来に渡って呪縛のような働きをしている、とすれば、それはそれでちょっと怖く、不思議な話でもある。

体育座りの歴史〜いつからあるか〜

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