中国の社会信用システムの評価基準
今後、デジタル管理社会、顔認証も含めた超監視社会が進み、日々の行動や言葉、繋がり、購入履歴や身体データなど、人生のあらゆる足跡が「一つ」に纏められ、管理される世界になっていけば、その「情報」をもとに「評価」される社会になっていく。その評価次第で、特典が与えられたり、生活に制限が加えられたりする。ワクチン接種が、(実際にはそういった効果はないにも関わらず)「他者のための思いやり」と結びつけられ、ワクチンパスポートが敷かれる、ということも、利他的な行動をした人間に特典を与える、従わなかったら制限をかける、という仕組みと通底している。この延長にある代表的なものが、中国の「社会信用システム」なのだろう。
中国の社会信用システムとは、中国政府が収集したデータをもとに、国民をランク付けし、個々人の「信用度」をスコア化する仕組みを意味する。キャッシュレスや顔認識技術も浸透し、超管理社会、監視社会だからこそ可能なシステムで、中国だけでなく、日本を含む西側諸国も、評価軸は違ったとしても、このデジタルの檻のなかに人間を閉じこめたいと目論んでいるように思える。
>>顔認証技術でワクチン接種記録 迅速に確認可能 サービス開発|NHK
あらゆる行動が管理され、その行動が「評価」される。人々は、評価の高い人間、すなわち、その世界ないし国にとって「理想の人間」となるために意識的また無意識的に行動するようになる。
中国のシステムは、14億人もの国民の行動を監視し、国家と共産党が定義する「良い」活動を表彰し、「悪い」活動に懲罰を与えることをあからさまに追求している。これは、宗教主導の社会の世俗バージョンである。聖職者たちが仲介する神の戒律に代わるのが、国家が定める基準だ。
(中略)
中国の「社会信用システム」は、顔・声・指紋の認識テクノロジーを、インターネット利用や教育に関する選択、ソーシャルネットワークなど公私にわたる行動の監視、さらに膨大な有給の情報提供者ネットワークが提供する不穏な活動に関する報告と結びつけている。
中国政府は、これらの要素を使って国民ひとりひとりの社会的・政治的・職業的、そして私的な活動についての全体像を描き出し、キャリアその他の選択において有利に働くポイントを付与し、あるいは権利や昇進の機会、移動の自由を奪うことによって反社会的・反共産党的な行動に懲罰を与える。 – コラム : 世界をむしばむデジタル監視国家、「対抗軸」はあるか|ロイター
中国政府は、「信用度の高い人は大空の下で自由に散策することができるが、信用度の低い人は1歩歩くのも難しくなる」と謳っているそうだ。コロナ以降は、世界が、着実にこの方向に進んでいってるように思える。それでは、中国の場合の社会信用システムの評価基準は、どういったものが挙げられるのだろう。Gigazineの記事(国民を監視して信用スコアを格付け&ランクに応じて特権付与やブラックリスト登録を行う中国の「社会信用システム」を分かりやすくイラストで解説するとこうなる)によれば、評価基準としては、次のようなことが挙げられると言う。
スコアが上がる
- 献血や近隣住民に親切にする
- 高齢の家族を介護する
- 慈善事業に従事する
- 貧困者を助ける
- 信用情報を良好に保つ
- 英雄的な行為をする
スコアが下がる
- ソーシャルメディアで政府に批判的なメッセージを送る
- 反体制的な行動を取る
- 権力者に対する違法な抗議
- 飲酒運転や信号無視などの交通違反
- インターネットでデマを拡散する
- 罪に対し口先だけの謝罪をする
- カルト宗教を信仰する
- オンラインゲームでチートをする
上記のように、「正しい行い」をすればスコアが上がり、「間違った行い」をすればスコアが下がる。善悪の評価基準など、権力者にとって自由なので、「逆らうこと」は、「間違った行い」に含まれるのだろう。信用スコアの高い人、低い人には、次のような特典やペナルティが与えられる。
スコアの高い人
- 学校入学や雇用における優先権が得られる
- キャッシュローンや消費者金融への容易なアクセスが受けられる
- 預託金なしで自転車や車がレンタルできる
- 無料のジム施設が利用可能
- 公共交通機関の料金が安くなる
- 病院の待ち時間が短くなる
- 職場での昇進が早くなる
- 公共住宅への優先的な入居が可能
- 税制優遇措置が受けられる
スコアの低い人
- 免許の発行や社会サービスへのアクセス禁止
- 飛行機や特急列車のチケット購入が制限される
- 消費者金融などの利用が難しくなる
- 公共サービスへのアクセスが制限される
- 公務員などへの就職資格がなくなる
- 私立学校への入学が拒否される
- オンラインやTV、公共空間で氏名や顔写真、個人IDなどがさらされる
信号に関しても、顔認識の技術によって即座に身分情報を特定、信号を無視した人の顔やID番号などがスクリーンに映し出される、というペナルティが課せられる(参考 :【特集・電脳チャイナ】中国で広がる、すべてが「顔認識」の世界 – 動画)。複数回行われると、「信用のない行為」として記録される。
この社会信用システムによるペナルティとしては、2019年の記事にも、社会信用スコアを理由に、2000万人が、飛行機や、高速鉄道、列車の利用が禁じられた、という報道もある。
中国当局は、「違法案件の当事者1750万人」に対して国内外への旅行を制限し、航空券の購入を禁止した。また、他の550万人に対して高速鉄道や列車の利用を禁じた。 – 中国昨年2千万人超、飛行機などの利用禁止 社会信用スコアで|ロイター
中国には、政府主導の「社会信用システム」と、もう一つ、2015年に始まった、民間主導でアリババグループが行なっている「芝麻信用」などがある。芝麻とは日本語でゴマを意味し、日本語でゴマ信用と翻訳されることもある(『アリババと40人の盗賊』に出てくる「ひらけ、ゴマ」に由来する)。基本的な仕組みは、社会信用システムと同様、デジタル情報の一括管理などで個人の「信用」を見える化し、様々な特典や制限に繋げる、というものだ。
その(キャッシュレスの)便利さと引きかえに、国民はデジタル社会における最大の資産を差し出さねばならない。
いつ、どこで、何を、いくらで買ったのか。何月何日の何時何分に、どこからどこへ移動したのか。どこに住んで、どんな味を好み、どんな家族構成でどんなペットがいるのか。1週間に平均で食事にいくらかけるのか? どんな本を読み、どんな薬を服用し、どんな金融商品を買っているのか? 子供の成績から交友関係、自身の思想信条に至るまで、ありとあらゆる個人情報を、アリババとテンセントに吸い取られる。
データは分析され、2社にとってのさらなる商売のタネを生み出していく。
アリペイは2015年に、決済情報から取り込んだ個人の買い物データや銀行へのローン返済履歴に、日常的に集められる膨大な個人情報を合体させ、AIが点数化した社会信用スコア「芝麻信用」を、自社の決済システムに搭載する。その信用スコアは、学歴や勤務先、資産、人脈、行動(買い物や交通違反、各種トラブルなど)、返済履歴(未払いなど)の5項目から計算される。
アリババ本社から最寄りの地下鉄駅に表示されているのは、「社会信用スコアが低くなると、ローンや融資の審査、就職や入学など、様々な場面で日常生活に影響が出る可能性がある」という警告文だ。
スコアが低くなり、自治体が管理するブラックリストに載ると、あらゆる面で経済活動ができなくなる一方、高スコアになると、ローンの金利が優遇されたり、賃貸住宅の敷金が無料になったり、病院で通常前金制の治療費を後払いで支払えるなど、多くのメリットが用意されている。 – 堤未果『デジタル・ファシズム』
もともと中国政府が後押しした一つに民間主導の芝麻信用があり、中国政府が主導するものが社会信用システムで、両者は異なっているようだが、どういった違いがあるのか、具体的な境界線というのは、いくつかの記事を読んでいるかぎりはわからなかった(メディアは混同しているという指摘もある)。少し前になるが、2018年のWIREDの記事にも、その境界線が曖昧だという記述もある。
芝麻信用は中国では非常に人気が高いが、こうした民間企業の提供するクレジットスコアサーヴィスと、政府の準備する社会信用システムとの境界は曖昧になっている。例えば、中国の裁判所はアリババと協力していることが明らかになっている。裁判所が科した罰金の滞納者の情報をアリババと共有することで、該当者は芝麻信用でのスコアが下がるという仕組みだ。
官民どちらでもクレジットスコアの対象分野が急速に拡大するなか、こうしたシステムが世界でも例を見ない「ITを活用した独裁制」につながるのではないかという懸念が生まれつつある。 – 中国で浸透する「信用スコア」の活用、その笑えない実態|WIRED
いずれにせよ、本質は、世界をデジタル化し、または顔認識含め監視社会化し、個々のあらゆる「情報」を一元管理した上で、その情報をもとに「信用」を見える化し、その評価によって生活における様々な特典や制約を受ける、という形そのものだと思う。
監視社会、管理社会によって「信用の低い」人間がペナルティを受ける社会は「安心」に繋がるのではないか、という声もある。しっかり監視、管理されていることで社会がよくなる、というメリットを挙げる人は少なくないし、実際、中国では(誰もが信用スコアが下がることを避けるので)マナーが向上したそうだ。また、別に「隠すような悪いこと」はしていないから平気だ、という人もいる。
しかし、本当にそうだろうか。別に「隠すような悪いこと」でなかったことが、この先「悪いこと」にされるかもしれない。あるいは、「思いやり」や「優しさ」も、基準が変わるかもしれない。たとえば、「環境」という全体の問題のために、「我慢せよ、利他的であれ」とし、肉を食べる人間はスコアが下がり、昆虫を食べる人はスコアが上がって「信用できる人間」とされるようになるかもしれない。SNSの発信や動きの一つ一つを追われ、その内容から、心に病的な部分があるとして治療を勧められ、治療の証明をしないと生活が縛られる、という世界になるかもしれない。「予防」という概念に対し、偏った極端な捉え方をし、無警戒に推し進めようとすると、排除することで安心と思っていたら自分が排除される側になっていた、ということにも繋がるだろう。
この「信用」然り、目に見えない価値の基準を、権力が決める(国にせよ、国際的な発想にせよ)ということの危うさは大いにあるように思う。彼らの定義する「素晴らしい人間」に、デジタル管理によって半強制的に調教されていく社会になる。世界が、潔癖で「素晴らしい人間」だらけになることが、本当に平和なユートピアだろうか、それとも「人間」を置き去りにしたディストピアになるだろうか。