未知と既知の違い

未知と既知の違い

未知と既知、という二つの言葉がある。未知は、「まだ知らないこと」を意味し、対義語である既知は、「既に知っていること」を意味する。それでは、この未知と既知の違い、境界線とは、一体どの辺りに引かれるのだろうか。

たとえば、人参にんじんが目の前にあるとする。人参は、未知だろうか、既知だろうか。この色味と形で、「人参」という言葉が浮かんだら、人参のことを「知っている」と言えるだろうか。既知と言えるのに、必要な要素とは何か。人参の味や、料理の仕方だろうか。育て方だろうか。その土の匂いだろうか。流通の経路だろうか。栄養素や成分だろうか。そもそも栄養素や成分は、果たして全て判明しているのだろうか。

人参のことを、知っている、と言えば、知っている。知らない、と言えば、知らない。とは言え、「人参を知っている?」と尋ねられた際、普通は、もちろん、知っているよ、と答えるのではないだろうか。人参は、名前や形状、味と言った、極めてシンプルな次元の知識であっても知っている場合、既知の存在として許されることが共有されている、ということなのだろう。

それでは、人間にんげんの場合、どうか。ある身近な人間は、未知か、それとも既知か。最初は全く知らなかったはずの未知の人物が、一体どれくらい知っていくと、既知の人物、という感覚に変わるのだろうか。逆に、近しいと思っている人物のことでさえ、本当に「知っている」と言えるのだろうか。

未知と既知、その境界線は、意外と曖昧である。もしかしたら、既知に至る条件は、知識量より、「慣れる(「知っているという錯覚」)」という感覚的な側面のほうが大きいのかもしれない。

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