恐怖心の対象

恐怖心の対象

命を大切にする方法と同様、恐怖心を掻き立てる対象も、それぞれで違う。子供の頃に追いかけられた記憶から犬が怖いというひともいれば、本能的に動きや外見に耐えきれずに虫が怖いというひともいる。

深い闇が広がる夜が怖いひとも、光に晒される日中が怖いひともいる。

恐怖の対象だけでなく、たとえ同じ事物を怖がったとしても、恐怖の度合いが違う場合も往々にしてある。

だから、「なんだよ、その程度のことで」という他者の笑いは、気休めにはなっても、真実とは言えない。そして、恐怖の対象や、恐怖の度合いの他に、その対処法も違う。

瞑想で自身の恐怖心を鎮める、恐怖の対象に近づき、慣れることで克服する、恐怖の対象から距離を置くことで存在しない世界に移る、恐怖の対象そのものを世界から殲滅させる。

それぞれ違う。

それゆえに、誰であっても、たった一つの、同じ恐怖の対象と、同じ恐怖の度合いと、同じ恐怖への対処法を強制することはできない。

誰であっても、「君たちは、今から蒲公英の花を、死と同じくらいに恐怖するようになる。その恐怖を乗り越えるために、この世界から、蒲公英の花を一掃する必要がある」とは言えないのだ。

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