クライオニクスと日本人
クライオニクスとは、もともと英語の言葉で、日本語に訳すと「人体冷凍保存」を意味する。また、人体を冷凍保存し、いずれ訪れる科学の発達を待ちながら「再生(解凍)」を求める考え方そのものを意味することもある。
人体冷凍保存。人の遺体を液体窒素で零下196度以下の低温で冷凍保存すること。現在はまだ、生体組織の損傷を伴わずに解凍する技術は開発されていない。
– コトバンク「クライオニクス」
これは、人類の「死」の克服を目指す技術及び思想であり、科学によって人間の体を進化させる「トランスヒューマニズム」の思想とも繋がっている。
誰もが過去に一度は、不老不死や永遠の命といったものを想像したことがあるかもしれない。生命にとって病がそうであるように、「死」は避けがたい根源的な不安であり、人類は、科学の力によって「死」を乗り越えたいと願う。そして、その帰結として、人間そのものの否定であるトランスヒューマニズムに向かうのも、ある種の必然と言えるかもしれない。
トランスヒューマニズムの第一人者であるゾルダン・イシュトバン氏は、この思想についてインタビューで次のように答えている。
トランスヒューマニズムは世界で数百万人が参加する社会運動だ。1950年代から始まり、最初はSFの中で用いられる概念や思想だったが、次第に社会運動になっていった。科学やテクノロジーを用いてラディカルに人間を変えるという考え方で、我々の生命のあり方そのものを変えるものだ。
例えば、私は自分の手に小さなチップを埋め込んでいる。特定の機種に限られるが、私が手を近づければ、私の名刺情報を送信することができる。今はこの程度だが、いずれは自動車のカギを開けたり、オフィスの入館証、空港のセキュリティーシステムなどで使われたりするようになるだろう。医療関係者も、血液型や持病など搬送されてくる患者の情報を瞬時に得られるようになる。
– 「人類はいずれ、ロボットになる」トランスヒューマニストが語る「不老不死」の必然|日経ビジネス
コロンビア大学時代に宗教と哲学を専攻していたイシュトバン氏は、授業でクライオニクスについて学んだときに、トランスヒューマニズムの存在を知ったと言う。
初めてトランスヒューマニズムを知ったのは、大学の授業でクライオニクスを学んだ時だ。死んだ人間の肉体を凍らせて、技術が進歩した遠い未来に解凍し、蘇生を試みるというアイデアだ。
– 「人類はいずれ、ロボットになる」トランスヒューマニストが語る「不老不死」の必然|日経ビジネス
現在、アメリカのアルコー延命財団や、ロシア・モスクワのクリオロス社で、人体冷凍保存の研究が行われている。クリオロス社では、頭部のみ(ニューロ・プリザベーション、ニューロ・オプション)の場合が940万円、全身の場合は1760万円という費用で、遺体の冷凍保存を行うサービスを請け負っている。なぜ「頭部のみの保存」という選択があるかと言うと、頭部さえ残っていれば、将来的にクローン技術を活用することもでき、また、別の脳死した人体に頭部だけを備え付けたり、機械の体に頭部をつけることも可能になることを見越して保存されているようだ。
存命中の体の冷凍保存は、現在の法体系では許されていないという理由から、クライオニクスの処置は、法的な死亡を経て開始する決まりになっている。法的な死亡とは、通常「心肺の停止」を持って判断される。心肺が停止しても、すぐに細胞の全てが死滅するわけではないので、「死」と判断されたあとの迅速な対応(冷凍保存)が、クライオニクスでは重要となる。
冒頭にある、ロシアのクリオロス社の研究施設の写真を見ると、数々の国旗に混じって日本の国旗も掲げられている。クリオロス社では、「ミチコ」という日本人女性の遺体も冷凍保存されていると言う。一体「ミチコ」とはどんな人物なのだろうか。
クリオロス社のホームページには、冷凍保存されている遺体の数や情報も公開されている。その掲載情報によると、クリオロス社では、総勢49人の人体(2017年掲載情報)の他、犬や猫などペットも冷凍保存され、「再生」のときを待ちながら眠っているようだ。そして、並んでいる名前の一人に、「日本人」も含まれている。この日本人が冷凍保存された日付は、2014年10月28日とあり、横浜市の女性で、「Fullbody(全身)」と記載されている。さらに詳細を見ると、その日本人女性の顔写真も載っている。
今はまだ、日本ではクラオイニクスが可能な施設は存在しない。しかし、日本のクライオニクスを推進する組織「日本トランスライフ協会」では、協会が、遺体を冷凍保存し、クリオロス社に空輸する、という代行サービスを提供している。
私ども日本トランスライフ協会(JTLA)では、Kriorus社(ロシア連邦)と連携をして人体の長期冷凍保存を行うサービスを提供させて頂いています。
医師の死亡診断後に、患者(故人のご遺体)を低温(約-70~-80℃)に保ちつつ、日本からロシアへ空輸し、モスクワ近郊にあるKriorus社のクライオニクス施設にて長期の冷凍保存(約-196℃)を行う内容です。遺体の国内搬送、冷却保管、書類手続き、契約のサポート、納棺梱包、空輸等の一連の内容が含まれております。
私どもでは、希望する方全てに上記サービスをご提供したいのですが、様々な制約が御座います。(経済的な制約やその他の制約)事前にお問い合わせをお願いします。
日本トランスライフ協会の会員は、30〜60代の医者や研究者、会社経営者など10数人で、全てが男性だという。代表理事である鈴木氏も、自身の死後の冷凍保存を希望している。ただし、冷凍保存はあくまで繋ぎで、理想は、「生きている間に、知能や人格がコンピューターの中に移すことができれば一番いい」と語っている。なぜ、それほど「生きたい」のか、という質問に、「死にたくないという思いもあるが、未来が見たいという思いが強い」と答えている。
クライオニクスの完成、すなわちいつ頃から「再生(解凍)」の技術が実現可能になるか、という時期についてはまだ分かっていないが、一説では、「2040年」頃ではないか、という予測もある。
>>蘇生を願い、人体を冷凍保存する人々 写真16点|ナショナルジオグラフィック
その他、協会ホームページの「クライオニクスについて」というQ &Aのページには、いくつか興味深い回答が載っている。
たとえば、クライオニクスの考え方からすれば、遺体は「死亡している」とは捉えず、「凍結保存した患者」と呼んでいるそうだ。また、「蘇生された未来の世界でやっていけますか?」という質問には、未開の地の人間をアメリカに連れていき、短期間で順応した例もあるから大丈夫でしょう、と答えている。