引き算の思考

何かの問題が生じたときは、その問題が突然現れたというよりは、もともとあった問題が目に見えて現れるようになった、と考えるほうが真実の場合がある。

その際には、問題というのは、これまでの状態が生み出した結果でもあるので、見るべき対象は、その問題というよりも、これまでの状態の検証になる。

また、そのことと関連して、問題に対処するときには、何かを足すよりも、まずは引いてみることを考えたほうがいいと思う。

足し算の思考よりも、引き算の思考。

わかりやすく言えば、物凄く疲れているときには、その疲れは問題ではなく結果であり、過去の様々な原因が積み重なって、酷い疲れに繋がっている。

だから、足し算で栄養ドリンクを足すよりも、キャパオーバーになっているのだから、何かを引かないといけない。あるいは、整理する必要がある。

でも、現れる問題にびっくりしたり解決を急ぐ(急かされる)と、つい足したくなる。

引き算よりも足し算の思考に向く傾向というのは、現代人の癖のようなものらしい、という実験結果もある。

たとえば、ベッドの脚が4本あり、そのうち3本が外れ、バランスが崩れた際に、3本を付け直すという発想以外に、残った1本を外す、という道もある。

しかし、現代人は、足し算を意識し、引き算を軽視する。

いま、ベッドの4本ある脚のうち、3本が外れてしまった。ベッドが傾き、寝心地が悪い。さて、どうするか。3本の脚を付け直そうと思ったあなたは、何かを見落としている。「残った1本の脚も外す」という選択肢だ。

寝心地の改善なら、残る1本を取り除けばベッドは平らになる。人間は「足し算」を意識し「引き算」を軽視する傾向がある。バージニア大学のチームは様々な実験からこう指摘する。 – 現代人は「引き算」が苦手 労働や環境問題、解けぬ一因(日本経済新聞)

その他、足し算の思考で解決しようとする具体的なケースとして、日経の記事では、エッセイやレシピを改善するように言われると文章を長くしたり材料を付け足すこと、旅程を整えるように言われると立ち寄る場所を追加する、といった事例が紹介されている。

引き算の思考が難しい理由としては、何を引くべきかの判断に労力がいること。あるいは、引き算を実行すると、過去の労力が無駄になる、という心理的な抵抗も働く。

確かに、思わず衝動的に、これが原因だと決め込んで、本当に大切なものを捨ててしまって、要らないものばかりが残る、ということは避けたい。引くときには、この問題を引き起こしている原因は何か、という冷静な視点や美学、人生哲学が求められる。

それはなかなかの労力になるし、また、これは無駄だったのかと認める行為に対する勇気も必要になる。とは言え、その一つ一つが経験であり、無駄になる、ということはないと思う。

日々の生活のなかで、個々人が、この問題を引き起こしているのはなんだろうと探り、その原因を引いてみる、という「引き算の思考」の習慣は、答えに近づく重要な一つなのでないだろうか。

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