議論の方法

議論の方法

議論というのは、長期的ビジョンが共有された状態で、具体的な道のりや速度を決定する際には効果的だが、根底が共有されていない場合、基本的に意味がないのではないかと僕は思う。互いの主張をぶつけ合い、どちらかが破壊されるまで衝突し続けるか、永遠にすれ違いを続けるか。いずれにせよ、終わったあとに、ただ、「勝った」という高揚感か、虚しい疲弊だけが残ることになる。

それでも、もし議論になった際、僕が大事にしたいと思うのは、「違い」を把握すること。どちらが正しいかの議論だと喧嘩になるし、喧嘩腰になれば、もう本来の目的も忘れ去られ、勝敗のみが主目的になる。重要なことは、どちらが正しいかではなく、どこが違うかを、丁寧にすり合わせることだと思う。そして、互いの違いを認識したら終わりにし、あとは持ち帰って各々の判断に任せる。

以下、その辺りを、もう少しだけ詳しく説明する。

議論が、ただの衝突に終始する場合、それぞれの正義をぶつけ合っているだけのことが多く、その場合、前提の認識が違っていることも多々ある。こういう現状認識で、こういう理由で、こういう結論に至った、と一人が考える。もう一人は、彼と全く違った現状認識で、こういう理由で、こういう結論に至った、と考える。現状認識というのは、知識量もあるだろうし、立場や視点もある。まず、その時点で違いがあるようなら、結論同士の議論だけを行なっても仕方がない。自分は、こういう現状認識で、こういう理論的な経緯を経て、こういう結論に辿り着いた、と互いに伝え合い、すり合わせ、この部分で違いがあるんですね、と了解し合う。

この了解を、議論の終わらせ方とする方法が一番よいのではないか、と個人的には思う。

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