どうせ死ぬ

どうせ死ぬ

生きとし生けるものは、例外なく死を迎える。死が待っているからこそ、今を大切に生きられる。もし、「永遠の生命」が手に入ったら、全てを先延ばしにし、きっと「今」という概念すらなくなる。死ぬ、ということは、生きる、ということと同じくらい重要な「命」の要素だ。

僕たちは、いずれ死ぬ。どうせ、死ぬ。

どうせ死ぬ、と考えたとき、どうせ死ぬのだから、生きていても仕方がない。どうせ死ぬのだから、誰を傷つけようと、悪さをいくらしようと、関係がない、と考える人もいる。一方で、どうせ死ぬのだから、今という時間を、後悔なく生きよう、と考える人もいる。同じ、どうせ死ぬ、という文言でも、命が軽くなったり、重くなったりする。

どちらの使い方が正しいとは言えない。命を重く感じすぎているゆえに絶望し、その中和剤として「どうせ死ぬ」という概念を使う場合もある。しかし、使いすぎれば、自暴自棄になって他人の命を思いやることさえできなくなる。いずれにせよ、生きているかぎり、死ぬ、ということは、決して忘れてはいけない命の重要な側面である。

命を大切にする、というのは、死を迎えること。そして、それゆえ生という限られた時間をどう過ごすか、また、自然や他者との関わりや循環、光と陰なども含め、より深く考えなければいけないものではないかと思う。

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