どうでもいいこと
どうでもいい、と思うことも沢山ある。情報化社会というのは、そういうことでもある。どうでもいい情報で溢れ返り、自分にとって重要なことが置き去りにされる。もちろん、自分自身では「どうでもいい」と思っても、それが「どうでもいい」とは思わない人たちもいる。だから、わざわざ「どうでもいい」と言葉にしないほうがいいこともある。それでも、周りがあることを勝手に重要視し、同じように、同じ温度で、重要視しろ、と迫ってくる場合、「どうでもいい」と突っぱねたくなる。
個人的に、どうでもいい、と思うことでも、それが誰にとってもどうでもいいものではないから、どうでもいい、と言うことはできないとしても、「どうでもいい」という個人の価値判断の意識は捨ててはいけないものでもあると思う。逆に、ほとんど多くの人にとって「どうでもいい」ことでも、自分だけには「どうでもよくない」こともある。
こういった価値判断のことについて考えるとき、サン・テグジュペリの童話『星の王子さま』の一節を思い出す。
「何百万年も昔から、花はトゲをつけている。何百万年も昔から、ヒツジはそれでも花を食べる。なんの役にも立たないトゲをつけるのに、どうして花があんなに苦労するのか、それを知りたいと思うのが、大事なことじゃないって言うの?
ヒツジと花の戦いが、重要じゃないって言うの? 赤い顔の太ったおじさんのたし算より、大事でも重要でもないって言うの?
ぼくはこの世で一輪だけの花を知っていて、それはぼくの星以外どこにも咲いていないのに、小さなヒツジがある朝、なんにも考えずにぱくっと、こんなふうに、その花を食べてしまっても、それが重要じゃないって言うの!」
王子さまは、今や顔を紅潮させていた。
どうでもいい、と思うことも沢山ある。どうでもいいと思うことが、どうでもよくない、と思う人もいる。それでも、どうでもいい、という価値判断も守らなくてはいけない世界を、僕たちは生きている。