プロパガンダの専門家エドワード・バーネイズとは

プロパガンダの専門家エドワード・バーネイズとは

エドワード・バーネイズとは、「広報の父」と称されるプロパガンダの専門家であり、PR(パプリック・リレーションズ)の第一人者として知られる。

バーネイズは、1891年にオーストリアのウィーンでユダヤ人の両親のもとに生まれ、翌年、家族でアメリカのニューヨークに移る。1912年、アメリカ東部のアイビーリーグの一つであるコーネル大学で農学の学位を得て卒業。父親の仕事の関係もあり、農業を専攻したものの、その業界に興味がなかったバーネイズは、教授の勧めで雑誌の編集の仕事に就く。その後、活字メディアよりも広報活動に興味を持ったバーネイズは、宣伝にまつわる仕事を行いながら人脈を築き、その人脈から、第一次世界大戦中にウィルソン大統領が設立した広報委員会CPI(別名クリール委員会)に所属することになる。

CPIとは、Committee on Public Informationの略で、アメリカ参戦の支持に世論を誘導することを目的とし、社会心理学の理論的な裏付けを得た学者やジャーナリスト、広告やアートの人物たちが集い、ウィルソン大統領の提案で1917年に設立された、連邦政府として初の専門職によるプロパガンダ組織である。CPIのプロパガンダは、世界初のマスメディアを利用した大規模プロパガンダであり、メンバーには、ジャーナリストのジョージ・クリールや、ウォルター・リップマン(リップマンがウィルソン大統領に設立を働きかける)などが参加者として名を連ね、若かりし頃のバーネイズも、中心メンバーではなかったものの、海外報道部のラテンアメリカ局に所属していた。

この活動を通じ、エドワード・バーネイズは、CPIが国民を巧みに戦争に誘導していく様に魅了された。

当初は、参戦に拒否を示していた国民が、新聞、ポスター、ラジオ、電報、映画など、様々な媒体や手法を用いて行われるプロパガンダ活動によって、短期間のうちに戦争への熱狂に駆り立てられていったのである。このプロパガンダでは、「悪魔のようなドイツと、正義の使者であるアメリカ」という単純化された二分法が採用され、新聞やポスターを使ってドイツの残虐なイメージを人々に植え付けた。

また、オピニオンリーダーを活用する「四分間演説の男フォー・ミニットマン」という手法も知られている。その地域のリーダー的存在の名士が、映画館や劇場の上演前に、「四分間、お時間拝借」と言って戦争遂行の意義などを呼びかける、というものだ。

バーネイズ

エドワード・バーネイズと妻 1923年

こうした戦争時のプロパガンダの技法や考え方を、「平和利用」しようと考えたエドワード・バーネイズは、負のイメージがつきまとうことになったプロパガンダの復権を試み、1928年には『プロパガンダ』という本を出版。また、「広報(PR : Public Relationsパブリック・リレーションズ)」という表現を使用するようになる。

著名な精神分析学者でユダヤ人のジークムント・フロイトの甥であったバーネイズは、フロイトの影響を深く受け、無意識や人間に共通して見られる欲望といった精神分析学の知見を広報戦略に取り入れていく(バーネイズは、フロイトの著作の英訳を行い、フロイト心理学の普及にも尽力する)。また、フランスの社会心理学者であるギュスターヴ・ル・ボンの群集心理なども学び、象徴的な人物を操作し、人々の欲望や恐怖心に働きかけることで人間の行動を誘導しようと考えた。バーネイズは、主に影響力のある第三者(あるいは象徴的事象)を利用し、「状況を作り出す」という方法を採用した。

たとえば、それは公益のための一見すると独立的な組織を宣伝活動に織り交ぜる、というもので、その組織は、バーネイズが宣伝活動に利用するために創る組織の場合もある。また、クライアントの企業とは関係のない業界、医療業界やファッション業界なども巻き込み、一つの状況を作り出していった(彼の代表的な仕事である「女性へのタバコ推進キャンペーン」では、医療業界に「タバコは痩せる」と発表させたり、ファッション業界に働きかけてタバコのパッケージの緑色を流行色になるように仕向けた)。

第一次世界大戦後、不況に喘いだアメリカでは、多くの経営者が、市民の購買意欲を刺激するためにどうすればいいか悩み、バーネイズのもとに巨額の資金をつぎ込んで助言を求めるようになった。

バーネイズにとって「プロパガンダ」とは、必ずしも悪ではなかった。むしろ避けられないことであり、平和のために使うことこそが大事だと、「プロパガンダの伝道師」を自称するほどだった。バーネイズが37歳のときに書き、叔父であるフロイトも讃えたという著書『プロパガンダ』の第1章「姿の見えない統治者」のなかで、彼は、極一部の優秀な人物たちが、プロパガンダ的な手法を用いながら、正しい方向に導くことの重要性について次のように主張している。

私たちは多くの場合、その名前すら聞いたことのない人々によって、統治され、考えを一定の型にはめ込まれ、好みを決められ、正しい考えを規定されている。民主主義という体制はこのようにして成り立っているのだ。社会を円滑に機能させ、そのメンバーが共存していこうとするならば、このやり方に誰もが従わなければならない。

(中略)

私たちの日々の生活は、それが政治であろうと、ビジネスであろうと、社会運動であろうと、道徳であろうと、比較的少数の人間によって支配されているのである。現在のアメリカの総人口1億2000万人(1928年当時)のうち、このような統治する能力を持った人たちは、ほんのわずかの数でしかない。しかし、彼らは、大衆心理学と大衆社会学に精通している。

このような専門家こそが、大衆の考えを裏からコントロールする。彼らは昔からある社会勢力を利用しながら、まったく新しいやり方を考え出し、大衆の考えをひとつにまとめて動かしていくのである。

–  エドワード・バーネイズ 『プロパガンダ』

だが、このバーネイズの思想や手法が、数年後、ナチスの宣伝相であるヨーゼフ・ゲッベルスに影響を与え、ドイツのユダヤ人排斥運動にも繋がっていくことになる。ヒトラー自決の後、ゲッベルスは我が子を毒殺し、ヒトラーを追うように、妻とともに自殺する。死後、彼の机の引き出しから、バーネイズの著書が見つかったことを知ったバーネイズは、「知る由もなく、仕方のないことだ。どんなことも社会的に用いることもできれば、悪用もできる」と残している。バーネイズも、フロイトも、ユダヤ人だった。

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