コロナとプロパガンダ
プロパガンダとは
大学の授業で触れて以来、プロパガンダに興味を持ち、ときおりぱらぱらと本を読む程度に調べていたこともあり、このコロナ騒動でも、世界中で色々なプロパガンダ(PRと言ってもよい)が行われていることを、個人的には興味深く見ている。
そもそも「プロパガンダ」と言えば戦争をイメージするが、基本的には、特定の思想や主義を広める宣伝活動のこと(「挿し木、接ぎ木で増やす」「種をまく」という意味のラテン語が語源で、カトリック教会の「布教聖省」の名称として最初に使用される)で、現在では、商品を広めることも含めて「PR」という言い方もされる。PRとは、パブリックリレーションズの略で、日本語訳だと「広報」と言うのだろうが、本質的にはプロパガンダと変わらない。
PRの父と言われるエドワード・バーネイズという人物がいる。彼は、若い頃、第一次世界大戦参戦へのアメリカの世論育成や戦意高揚を目的として創設されたプロパガンダ機関に勤務していた。このとき、当初の参戦拒否の姿勢から、瞬く間に世論が参戦支持に変わったことでプロパガンダの効果を実感し、その後、プロパガンダは平和利用できるのだ、という考えのもと、PRという言葉も用いながら、広報の専門家として長年活動する。
彼の言っているプロパガンダの定義は、「大衆と、大企業や政治思想や社会グループとの関係に影響を及ぼす出来事を作り出すために行われる、首尾一貫した、継続的な活動」であり、これほど資本主義や民主主義も進み、情報化社会が浸透すると、いずれにせよプロパガンダ的な発想からは抜けられない。だったら、このプロパガンダの技術をもっと利用しよう、というのが、バーネイズの主張である。
このことに関し、バーネイズは、「姿の見えない統治者」という表現を用いながら、誰もがこの方法に従わざるを得ないのだ、と書いている。
私たちは多くの場合、その名前すら聞いたこともない人々によって、統治され、考えを一定の型にはめ込まれ、好みを決められ、正しい考えを規定されている。
民主主義という体制は、このようにして成り立っているのだ。社会を円滑に機能させ、そのメンバーが共存していこうとするならば、このやり方に誰もが従わなければならない。
– エドワード・バーネイズ 『プロパガンダ』
一見すると、乱暴で傲慢な意見のようにも思える。一方で、情報が氾濫し、全てを網羅することができない以上、誰か「賢い人間」が情報を選別し、加工し、届けてくれることが欠かせない、という点では、彼の言葉も一理あるのかもしれない。これはバーネイズの著書『プロパガンダ』の冒頭部分であり、その是非はともかく、選ばれた知的エリートたちが民衆を導く必要がある、という姿勢が伺える。
僕自身は、PRを専門的に学んだわけではないので、実際の細かい技法や、どの程度まで幅広く関わるか、といった詳しいことは分からない。ただ、バーネイズの代表的な仕事として知られるアメリカのベーコンエッグのPR手法を見ると、その基本や全体像が大まかに理解できるのではないかと思う。
第一次世界大戦後の1920年代に、アメリカで朝食として「ベーコンエッグ」を食べる、というスタイルを定番化させたのが、バーネイズだった。この朝食の形は、もともとアメリカの伝統的な文化ではなく、本来はもっと軽めの朝食を取っていた。彼は、食肉加工会社からの依頼で、この「朝食にベーコン」という形を定番化させようと試みる。要は、人々の生活文化ごと変えたわけである。その手法というのは、単に「ベーコンが美味しいよ」と謳ったポスターを貼りまくった、という話ではない。人々がこのスタイルを自ら取り入れるような状況を、根回ししながら戦略的に構築していくことが、彼の「プロパガンダ」だった。
依頼を受けたバーネイズは、まず、多くのアメリカ人の朝ごはんが軽めであることを調べたあと、5000人の医師に手紙でアンケート調査し、「健康のために朝食に摂るものは、高栄養、高カロリー食のほうがよいか」と質問した。これは多くの人々が医師の意見に信頼を寄せていると考えてのことだった。
そのアンケートに、9割の医師がイエスと回答すると、バーネイズは「4500人の医師が健康のために高栄養、高カロリーの朝食を推奨している」という記事を新聞各紙を通じて全米に広め、また、その朝食の望ましい例として「ベーコンエッグ」を挙げた。結果、朝食にはベーコンエッグがよい、という話は多くのひとの目に触れ、アメリカで朝ごはんにベーコンエッグを食べる、というライフスタイルが定着、ベーコンの売り上げも飛躍的に伸びることとなった。
こうした手法は、もともとプロパガンダ機関で働いていた経験に加え、バーネイズが、精神分析学者で叔父のフロイトの影響を含め、人間心理を深く学び、活用していたゆえに選ばれるようになったようだ。バーネイズのプロパガンダの考え方は、その後、ナチスの宣伝大臣であったゲッベルスに影響を与えたことでも知られている。
現代でも、PRという表現に変わり、社会でも影響力を行使しているプロパガンダ。割と最近の事例で、このPRが問題視されたのが、湾岸戦争時のイラクのクウェート侵攻後に行われたナイラ証言である。
ナイラ証言
ナイラという少女が、証言台に立ち、イラク軍兵士がクウェートで新生児を保育器から取り出し、床に放り投げて死に至らしめた、と涙ながらに証言。この証言によって、国際社会の反イラク感情は一気に高まり、湾岸戦争の引き金となる。しかし、後々、このナイラ証言というのが、実は当時の駐米クウェート大使の娘が演技をしていた「やらせ」だったことが発覚する。これはプロパガンダの一貫であり、その演出を裏で行なっていたのが、米世論の喚起のために依頼を受けた、PR会社のヒル・アンド・ノウルトン・ストラテジーズ社だった。このナイラ証言を、マスメディアが流し、当時のブッシュ大統領含め政治家も引用し、その結果、国民の感情やアメリカの軍事介入など、その後の情勢に多大な影響を与えることになったと言われている。
これほどあからさまではないにしても、こんな風に見せたい、こんな風に誘導したい、というプロパガンダないしPRは、あらゆる場所、あらゆる規模で多かれ少なかれ入り込み、その手法も、時代とともに変化し、また動機も、企業や国の利益だけでなく、それぞれの正義を背景に行われていることも少なくないだろう。だから、プロパガンダ的なものが一概に「絶対悪」というわけではないが、我々は、そういう風に誘導されている、作為的である、という可能性や前提は知っておいたほうがよいと思うし、メディアリテラシー教育と言うのなら、中学や高校で、プロパガンダについても教えたらいいのではないか、と個人的には思う。
ちなみに、日本ではPRを学べる大学というのはほとんどないものの、海外では人気の学科の一つとなっている。
欧米の大学では、多くの学生がパブリックリレーションズ(PR=広報学)を学んでいます。専攻科を置いている大学も非常に多く、学生にとって大変人気のある学科となっています。大学院にももちろん専攻科があります。日本では「それってなにをするの?」と聞かれてしまう場合が多いですが、欧米諸国では「クールだね!」などといわれることが多いです。
実際、僕の友人もヨーロッパの大学院でPRを専攻し、日本に戻って就活をした際、(もちろん語学能力や人間性など、他の要素も評価されてのことにしても)大手企業から次々採用をもらっている。英語ができて、PRを学んだ、という若い人材は、日本でとても貴重だったのかもしれない。在学中、その友人から授業内容をざっくりと聞いたときには、こんなに賢い人たちが、世界中で「大衆を誘導すること」を日々本気で学んでいるのだから、誘導されるのも当然だな、と思った覚えがある。
WHOとPR会社
僕はこのコロナ騒動を見ていると、ものすごくPR的、プロパガンダ的だな、と思うことが多く、もちろん、あらゆる発信に多かれ少なかれPR的な側面があるとは言え、その度合いがあまりに凄まじいので調べてみると、どうやらWHO(世界保健機関)が、あるPR会社と契約している、という記事を見つけた。そのPR会社というのが、先のナイラ証言で名前の挙がったヒル・アンド・ノウルトン・ストラテジーズ社だった。日本では、国際ジャーナリストの堤未果さんが、このWHOとPR会社の関係について少し触れている。
WHOの専属広告代理店
全てがこのPR会社によって指揮されているかどうかはわからないし、各国でそれぞれのPR会社、広告代理店に依頼している可能性もあるかもしれない。また、繰り返しになるが、そのこと自体は(捏造は問題としても)悪とは言わない。ただ、各国が似たような手法や表現を使っているように思えるのが気になるし、日本でも随所で「工夫」が見られる。たとえば、身近な例では、「再拡大」を「リバウンド」と言い換える、というのも、違う表現を使って鮮度を保ったり、まるで別のものであるように演出するという一つの作為的な手法だと思う(「リバウンド」は、もともとあった専門用語ではなく、今回初めて登場した言葉で、定義もないようだ)。
古い馴染みある言葉を使ったり、あるいは新しく考え出されたフレーズを駆使することによって、プロパガンディストは、全く別の方向に大衆の考えを誘導することもできる。 – エドワード・バーネイズ(広報専門家)
— 付箋 (@KDystopia) June 21, 2021
また、PR会社が関与しているということは、科学ではなく、もともと一つの「物語」があり、その物語をどうやって広めるか、ということに注力している可能性もある。
先ほども触れたように、どこまでWHOや専属のPR会社が影響力を行使しているかは定かではないが、プロパガンダの総体として、「どういう依頼を受けているのだろう」と個人的に想像するに、①コロナをとても怖いものとし、ワクチン(ないしはワクチンパスポート)への誘導、②人間をとても汚いものとし、ソーシャルディスタンスなどを経てデジタル社会、新しい生活様式への誘導、という二つのポイントが見える。
フランスのマクロン大統領は、カフェやレストラン、飛行機などの利用に際し、ワクチン接種の完了や陰性証明の提示を義務化。医療従事者や介護職員などに対し、接種を命じ、従わない人は仕事を続けられなくなるとしている。 https://t.co/iaP8DcvbNI
— 付箋 (@KDystopia) July 13, 2021
ワクチンについては、単純に製薬会社の莫大な利益に繋がるというのもあるのだろう。ファイザーのCEOは、「(定期接種が必要な)インフルエンザワクチンに似た長期的な需要が見込める」という見方を示している(参照 : 米ファイザー、21年のワクチン売上見通し2.8兆円に)。また、デジタル社会(ワクチンパスポート然り、キャッシュレス然り)というのは、全ての足跡がデータ管理される社会であり、キャッシュレス社会なら反抗する者はお金の流れを止めれば何もできなくなるかもしれない。権力者にとって、「新世界」は、民衆を管理するために大変便利な社会と言える(参照 : 政府主導のキャッシュレス社会は「デジタルファシズム」の前触れだ)。
いずれにせよ、そういう依頼を受けていると仮定した上で、以下、個人的に気になった各国のコロナに関連した、PR、プロパガンダと思うもの(実際にはもっともっと細かく色々とあるが、ぱっと見でわかりやすいもの)を掲載していきたいと思う。
各国のPR
日本
人間の吐き出す飛沫が、危険なもの、という映像。人間は怖い、人間は汚い、と植えつける(政府広報)。
富岳を使った飛沫のシミュレーションと可視化。繰り返し、繰り返し、映像として見せることで、人間はこんなに汚く、危ないのだ、ということを頭に刷り込む。
潔癖で清浄な白は、ミヒャエル・ハネケの映画『白いリボン』を思わせる。罪を背負った汚い生身の人間との対比だろうか(政府広報)。
NHKが放送する、「アバター」を使った観光、非接触社会の行く末(NHK)。
こんな世界にしたい、という思いが全面に溢れた「スマート東京」「新しい生活様式」(東京都)。
西村大臣がツイッターで紹介していたペッパー君。人間は汚く、怖いが、ロボットなら安心。「僕たちロボットは感染することがないので」と言うが、そのことがむしろロボットの永遠の孤独を物語っている。
どう考えても、テレワークやキャッシュレスに誘導したいことが露骨。変えたいもの、潰したいものを、はっきり狙っている大臣。
この手の記事も頻繁に見られ、人間の罪悪感を刺激しようとする。本来、インフルエンザや既存のコロナやノロなど他のウイルスも無症状が多く、過去、もしかしたら誰かにうつって亡くなったということも可視化されなかっただけであったかもしれない。こういう風に罪悪感を煽り立てる、ということを繰り返せば、ひとはもう二度と、ひとと接することができなくなるし、昔の「もしかしたらあれは自分のせいだったかもしれない」を責め立てることにもなる。人間の根幹にある「罪の意識」を刺激する、というのは、今回目立つ手法の一つだと思う。「変異」というウイルスにとって当たり前のことを次々名称を変えて怖がらせる(実は2009年にも同じことをしている)ことも含め、人間が深層心理で「何を怖がっているか」がよくわかっている。
アメリカ
こんな影響力のあるひとが打った、というPRの他に、接種したらピザやiPad、現金、ドーナッツ、減刑やマリファナまで進呈。
ワクチン接種の特典に、ハンバーガーやポテト。コロナの重症化要因に肥満が挙げられるなかで、こんなにポテトが美味しいよ、だから打ちましょう、と。ニューヨーク州では、ワクチンパスポートの導入も進んでいる。
バイデン大統領がツイッターにアップした、マスクか、ワクチンを打つか、というもの。二択を迫る、というのは、他の選択を排除した権力性を帯びる。別の選択を考えさせないようにする。
ブラジル
ワクチンを平等に分配する、というテーマでライトアップされたリオのキリスト像、「ワクチンが救う」(ロイター)。
イスラエル
ワクチンパスポートのCM。言葉はわからないので想像になるが、接種した者だけが楽しい空間に入れる。
フランス
ポスター。〈ワクチンには望ましい効果がある ── ワクチン接種によって再び人生が始まるのです。さあ、打とう。〉
コンセプトはポスターと同じだろう、ワクチンを打てば、もう一度人生が再開される。自由を奪っておきながら、ワクチンパスポートを受け入れれば、自由を与えよう、というときの「自由」とは。 BGMでは、freedomと叫んでいる。
イギリス
イギリスのNHS(国民保健サービス)、イギリスでも「ステイホーム」キャンペーン。あなたは常に感染しているように振る舞え、あなたは常に誰かに感染させるかもしれない存在として振る舞え、というメッセージが伝わってくる。そして、「こちら」を見てくる。徹底して「罪の意識」を刺激する。
ドイツ
ドイツのベルリン観光当局のポスター。マスクをした老婆が、「マスクをしない」人間に中指を立てる。ドイツ語で「マスクを着けない全ての人に人差し指を立てよう」と書かれているようだ(実際には中指を立てている)。目に見える目印を使って「あの連中が敵だ」と分断を煽る、ということも、今回の特徴の一つに見える。もちろんそんなことをしたら「危険」だ。
オーストラリア
オーストラリアのシドニーで流れているCM、こうなりたくなかったら家にいろ、ワクチンを打て、というメッセージが込められている。見ているだけで不安感や恐怖を誘う、薄気味悪いほどの迫真の演出。最後には、「お前のせいだ」と言わんばかりにこちらを見る。
ウクライナ
初期に世界的に行われた、感染曲線を平坦化させるキャンペーン「#FlattenTheCurve」でも使われた名画のパロディ。現代アートはむしろ、今のような流れに抗ったり問題提起するものだったのではないだろうか。
以上が、各国のコロナに関連したPR、プロパガンダの事例である。
他にも、顕著なものとして、ツイッターやグーグル、フェイスブックなど、現代の情報社会に多大な影響力を持っている私企業による検閲も問題になっている(YouTubeでは、ワクチンに関する懸念を表明した議論は、政治家や専門家の入っている議論さえも削除される)。
ある一つの情報をプロパガンダで全面に押し出し、反対側の情報は検閲によって削除していく。デマだから、などといった理由づけはいくらでもできるだろうが、科学者の意見さえも削除しているし、「デマだから削除」、という考えの延長線上には、宗教や表現も厳しく規制されるような世界も訪れるかもしれない。
YouTubeが、(フロリダ州)知事が科学者らと行ったコロナウイルスの対応に関する円卓会議の映像を削除すると、(知事は)グーグルとYouTubeは「支配エリート」のストーリーに反する情報を検閲していると非難し「今年の会期中になんらかの対応をするつもりだ」と述べていた。
なおYouTubeは削除について、会議の出席者の一部が、マスクは子供の年齢では効果がなく、健康に害を及ぼす影響があるため、子供はつけるべきではないと話していたからだとしている。
いずれにせよ、国家や国際組織と、情報を司る巨大企業が結託し、一つの大きな「物語」のみが発信され続けることが常態化すれば、ディストピア的な、相当危うい世界になることは間違いないと思う。