生きている意味、生きていく意味

生きている意味、生きていく意味

生きている意味、生きていく意味は、果たしてあるのだろうか。この悩みは永遠に尽きないかもしれない。特に、縦からも横からも孤立してしまっている近代人は、尚更、自分自身が存在する「意味」にしがみつこうとする。承認欲求というのも、根幹にあるのは、「あなたが生きている意味」ということではないだろうか。

生きる意味、ということに執着することの危うさや脆さもある。ある一つのことを生きる意味にすると、依存のように執着したり、失われた瞬間に燃え尽きることになる。逆に、生きている意味なんて何一つない、と自暴自棄になり、投げやりになったとしても、それは結局、「生きている意味」に囚われた心情と言える。もし本当に、生きていても意味がないと思えたなら、わざわざ死ぬほどのものでもないと思えてくる。

生きている意味、使命感、というものが全くないのも人生に張りがないが、ときどき、その意味自体を外してあげる緩みも必要であり、生きている意味、生きていく意味について、それほど過剰に期待しない、というのも大事なことなのだと思う。

ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事にいて文句はないのだ。

–  中原中也『いのちの声』

千年、一万年という流れのなかの一部、という視点もあると少し楽になる。あるいは、ただ風を感じているだけでいい、という感覚も。

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