あなたはまだいいよね

あなたはまだいいよね

誰かの愚痴や不満を聞いていると、ふと心によぎる言葉。あなたはまだいいよね。それぞれにそれぞれの許容量があり、状況があり、溢れ出すものがあると分かっていながら、それでも自分に余裕がなく、うっかり思ってしまうこと。自分が持っていないものを相手が持っている、その持っているものの悩みを聞くとき、一つ一つの悩みは当然で、正当だと思いながら、心の底に、「あなたはまだいいよね」という、一言では言い表せない感情が渦巻く。そして、それはきっと同時に、あるいは、別の機会に、相手も抱いていることかもしれない。

それでは、同じものを、同じ量だけ持ち、同じぶんだけ足りなく思う者同士でしか、慰め合うことはできないのだろうか。果たして、この世界のどこかに、そういう相手が存在するのだろうか。探しても、探しても、孤独に行き着くのではないだろうか。詩人の萩原朔太郎は、詩集『月に吠える』の序文で、次のように人間の宿命を綴っている。

人間は一人一人にちがった肉体と、ちがった神経とをもって居る。我のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。原始以来、神は幾億万人という人間を造った。けれども全く同じ顔の人間を、決して二人とは造りはしなかった。人はだれでも単位で生れて、永久に単位で死ななければならない。

–  萩原朔太郎『月に吠える』

あなたはまだいいよね、という感情がよぎるとき、まずは誰もが違うのだ、ということを受け入れなければいけない。そして、同時に、誰も辛く、悲しく、寂しいのだ、ということも。その寂しさが、むき出しになっているか、ひととき何かで覆い隠されたり、麻痺させているだけの違いに過ぎない。その孤独で弱い生き物同士が、偶然、出会ったということ。分かり合える瞬間があったということ。その縁を尊く感じながら、支え合って生きていく以外にないのではないだろうか。

–  それは希望かね。

–  いいえ。

–  それは愛かね。

–  いいえ。でも、ほのかに優しい何かではあるかと。

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