文章の書き方

文章の書き方を学んだのはいつの頃だろう。記憶にない。喋ることよりも、文章を書くことのほうが、より人為的に学ばないと習得できないような気がする。

幼稚園の頃に、日記のような簡単な文章は書いていたので、この年齢の頃には、ある程度文章の書き方は身についていたのだと思う。ただ、改めて書き方というものを学んだ覚えはなく、小学生の頃の読書感想文も、書き方に関しては、一マス空ける、といったルールや、せいぜい冒頭に台詞せりふを持ってくるという「飛び道具」のようなものを教わった程度で、あとは文字通り、「感想」を一生懸命言葉で伝えることを感覚で行っていた。

子供の頃はそれほど本が好きだったわけでもなく、他人に伝えたいような感想もなかったので、その感想を文章にすることも、「無いもの」を無理やり膨らまされるような苦しさがあり、夏休みに課される読書感想文の宿題が本当に苦手だった。

文章については、10代の後半頃にぽつぽつと趣味のようにして始めた読書の習慣とともに、ちょうど時代的にブログを書く文化が一般に浸透していったタイミングで僕もブログを書き始め、ただただ読んで書くことを重ねる(好きな作家の文体を真似ることもあった)日々のなかで、自然と自分にとっての心地よい文体が育まれていった。

大学時代に、レポートや論文を出す際も、書き方のルールを多少勉強したくらいで、僕自身は文章の書き方について色々考えた記憶がない。

ちなみに、この「ブログ」という空間で、キーボードを叩きながら書く、というツールや動作自体が、硬く、ぶつ切りで、やや人工的なリズムを重んじる(そして誰が読んでも分かりやすいように心がける)自身の文体に結構な影響を与えたと思う。ニーチェが、タイプライターを使用することによって文体が変わったという(参照 : 翻訳者は週に一度、靴を履く・第1回  執筆者・池田真紀子)話もあるように、執筆の環境が文章や思考に影響を与える、というのは実感としても、その通りだと思う。

いずれにせよ、文章の書き方というのは、仕事上のコミュニケーションや、村上春樹さんが『風の歌を聴け』で書いているような「自己療養へのささやかな試み(僕にとっては、こちらの要素が大きかった)など、改めて「書く」ということの必要性に迫られない限り、学び直すことはなかなかないのではないだろうか。

そんなことを考えたのは、最近、哲学者である千葉雅也さんの文章の書き方に関する一連のツイートを読み、こういうアドバイスって新鮮だな、と思ったことがきっかけだった。

文章の書き方、一般的アドバイス。現代日本語としてプレーンな書き方を心がける。一つの文に入れる内容を思っているよりも減らす。たくさんのことを言うには文を分ける。言葉を削って七五的なリズムを作ろうとしない。少ない内容をNHKのような標準的な表現によって過不足なく言葉数をかけて書く。

文章指導をするときには、より平易に書く、一文の情報量を減らす、カッコつけようとしない、という指導をする。その方がより早く玄人の文章に近づく。

基礎がしっかりしていないうちに凝った表現をしようとすると、文章が安定しないというか、それはプロから見ればわかる。いったん、徹底的に平易な文章が書けるようになるべきである。自分なりの工夫した書き方はその先。

文章修行もとにかくプライドを捨てるのが最優先。

芸術でも学問でも、「素人が考えるカッコよさ」はカッコ悪いからまず捨てる、というのを最初に理解してもらうのが大事。

素人を脱するというのは、去勢を経るということ。 – 千葉雅也(Twitter)

確かに、こういう視点で「文章の書き方」を教わったことはないな、と思う。

文章の基礎がしっかり整っていないうちに、オリジナリティを出そうと凝った表現を盛り込むと、文章が安定しない。だから、まずはなるべく平易な文章を書くことを心がける。「素人が考えるカッコよさ」はカッコ悪いからまず捨てる。

歌舞伎役者の18代目中村勘三郎さんの「型があるから型破り、型がなければ単なる形無し」という言葉がある。もともと、これは禅僧で教育者の無着成恭むちゃくせいきょうさんの言葉のようだ。勘三郎さんが、ラジオから流れてきた『子ども電話相談室』で聞いた言葉だと言う。

勘三郎(18代目)がまだ中村勘九郎と名乗っていた若かりし頃、アングラ演劇の旗手、唐十郎が主宰する劇団を見て衝撃を受けたという。

唐十郎の劇団は、当時東京都の中止命令を無視して、新宿西口公園にゲリラ的に紅テントの芝居小屋を立て実施していたのだが、その劇場を見て勘三郎は「これこそ歌舞伎の原点だ。歌舞伎もこれに戻らなきゃいけない。俺もあのような歌舞伎がしたい」と衝撃を受けたのだ。早速、先代の勘三郎(父親)に直訴したところ「百年早い。そんなことを考えている間に百回稽古しろ」と言われてしまった。

しかし当時の勘九郎にはまったく理解ができずにモヤモヤしていたという。

そんな折、たまたまラジオから流れてきた、子ども電話相談番組で「型破りと形無しの違いはなんですか?」と質問があり、回答者の無着成恭(僧侶で教育者)がこう答えた。 〝そりゃあんた、型がある人間が型を破ると「型破り」、型がない人間が型を破ったら「形無し」ですよ〟勘三郎は「 あっこれだ!」と先代の教えの意味を理解した。

以来、勘三郎氏は徹底的に型を習得し、練習に練習を重ね、先代から受け継いだ十八番演目である「春興鏡獅子」の演技に生涯をかけ心血を注ぐとともに、

後継者であるわが子や弟子に対しても幼い頃から徹底的に基本を叩き込んだという。その土台をもとに、型破りな歌舞伎に精力的に取り組んだからこそ、歌舞伎界の仲間からもお客様からも認めていただけたのである。 – 型がある人間が型を破ると「型破り」、 型がない人間が型を破ったら「形無し」

僕も、20代の前半頃に出会ったこの「型破りと形無し」の違いにまつわる言葉に感銘を受け、基礎の大事さを再認識した。ただし、これは自分が運動部にいた頃の実感でもあるが、間違った基礎を延々積み重ねても、抜け出せない悪癖になるので、何を「基礎」とするかの選択も重要だと思う。

千葉さんの文章に関するツイートを読んで、もう一つ思い出したことは、太宰治が芸術に関する随筆で書いていた文章である。以下の言葉は、厳密に言えば、千葉さんとは多少違う角度からの指摘ではあるが、文章の書き方、という点で言えば、共通する要素も含まれている。

誰しもはじめは、お手本に拠って習練を積むのですが、一個の創作家たるものが、いつまでもお手本の匂いから脱する事が出来ぬというのは、まことに腑甲斐ふがいない話であります。はっきり言うと、君は未だに誰かの調子を真似しています。そこに目標を置いているようです。〈芸術的〉という、あやふやな装飾の観念を捨てたらよい。生きる事は、芸術でありません。自然も、芸術でありません。さらに極言すれば、小説も芸術でありません。小説を芸術として考えようとしたところに、小説の堕落が胚胎はいたいしていたという説を耳にした事がありますが、自分もそれを支持して居ります。

創作に於いて最も当然に努めなければならぬ事は、〈正確を期する事〉であります。その他には、何もありません。風車が悪魔に見えた時には、ためらわず悪魔の描写をなすべきであります。また風車が、やはり風車以外のものには見えなかった時は、そのまま風車の描写をするがよい。風車が、実は、風車そのものに見えているのだけれども、それを悪魔のように描写しなければ〈芸術的〉でないかと思って、さまざま見え透いた工夫をして、ロマンチックを気取っている馬鹿な作家もありますが、あんなのは、一生かかったって何一つ掴めない。

小説に於いては、決して芸術的雰囲気をねらっては、いけません。あれは、お手本のあねさまの絵の上に、薄い紙を載せ、震えながら鉛筆で透き写しをしているような、全く滑稽こっけいな幼い遊戯であります。一つとして見るべきものがありません。雰囲気の醸成を企図する事は、やはり自涜じとくであります。〈チエホフ的に〉などと少しでも意識したならば、かならず無慙むざんに失敗します。無闇むやみ字面じづらを飾り、ことさらに漢字を避けたり、不要の風景の描写をしたり、みだりに花の名を記したりする事は厳に慎しみ、ただ実直に、印象の正確を期する事一つに努力してみて下さい。君には未だ、君自身の印象というものが無いようにさえ見える。それでは、いつまで経っても何一つ正確に描写する事が出来ない筈です。主観的たれ! 強い一つの主観を持ってすすめ。単純な眼を持て。 – 太宰治『芸術ぎらい』

小説を書く際、太宰治は、「芸術的」に書こうという意識を厳しく批判する。重要なことは、「正確を期する事」だと言う。この「正確」というのは、どう見えているか、という主観的な眼に映るものを「正確」に表現するように努める、という意味である。

具体例として、たとえば、風車が悪魔に見えたなら、迷うことなく悪魔を描写すること。もし風車が風車にしか見えないなら、そのまま風車を描写する。風車が、自分の眼に風車として見えているのにもかかわらず、それでは「芸術的」ではないからと、風車を悪魔のように描写するといった見え透いた工夫をするような作家には、一生かかっても何一つ掴めない、と太宰は書いている。

千葉さんが想定している文章と、太宰治が想定している文章では、終着駅に違いがあるかもしれないが、共通項としては、不自然な背伸びをしない、ということが挙げられるのではないかと思う。

凝った表現をしようとすれば、あるいは、芸術的な表現をしようとすれば、その「しようとしている」という力みが軽薄さとして読み手に伝わる。だから、千葉さんは、「徹底的に平易な文章が書けるようになるべきである。」とアドバイスし、太宰治は「強い一つの主観を持ってすすめ。」と言う。

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