マックス・ブロートの回想録の一文

マックス・ブロートの回想録の一文

作家のフランツ・カフカの親しい友人として、同じく作家のマックス・ブロートがいる。彼自身、当時はプラハで有名な作家であったが、今ではカフカの友人、カフカを世界に広めた紹介者として知られている。

カフカ(右)とマックス・ブロート、ビーチにて 1907年

二人はプラハ大学で出会い、生涯交友は続いた。作家としてほとんど無名のまま、1924年、カフカは結核のために40歳という若さで亡くなるが、遺稿を託されたのも、マックスだった(ただし、カフカは遺稿を焼却してほしいと願ったものの、マックスは、死後彼の遺稿を公刊していった)。そのマックスが、第一次世界大戦時のことについて回想録で綴っている文章がある。

我々にとって戦争とは、現在では半ば忘れられてしまった人類の他の夢想、例えば無限に動き続ける永久機関、不老不死の霊薬、錬金術師の黄金を造り出すチンキ剤、永遠の生命を保証する薬剤、といったものと同一平面上にあった。

(中略)

我々がギムナジウムで学び、世界史で読んできたことの全てを、それについて熟慮することをせず、メルヘンだと思っていたのだ。

ギムナジウムとは、ドイツ語で、日本でいう中等一貫教育に近い、大学進学を前提とする学校を意味する。古代ギリシアの「ギムナシオン」に由来する。僕はこのマックス・ブロートの文章が妙に印象に残り、昔(大学時代だと思う)つけていた読書ノートにメモしてあった。

言葉で学んだことが、メルヘンと違いがなくなる。それでは、本質を学ぶ、身につける、知っているとは、一体どういうことなのだろう。

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