“アスファルトに咲く花のように”

“アスファルトに咲く花のように”

とても有名な歌詞の一節。“涙の数だけ強くなれるよ、アスファルトに咲く花のように”。岡本真夜さんの『TOMORROW』。初めて聴いたのはいつだっただろう。たぶん、テレビの懐かしい音楽を特集した番組だったと思う。発売された頃はCDを買うような年齢でもなかったし、部屋で繰り返し聴いた記憶もない。でも、このフレーズは、柔らかなメロディや歌声とともに子供心にも印象深く残っている。

とは言え、僕にとってこの曲は、あくまで耳に馴染んでいる、という程度で、特別勇気づけられたり感動したりといった覚えはなく、むしろ、意味がよくわからなかった、というのが率直な感想。もちろんニュアンスとしては伝わってくる。映像も見える。悲しみや挫折に幾度となく傷つき、アスファルトに塞がれるような状況でも、その隙間から、力強く咲く一輪の花。それは確かに「強い」ような気もする。ただ、涙の数だけ、アスファルトに咲く花のように強くなれる、という感覚が、正直、本音の部分ではずっとピンと来ていなかった。

その理由について考えてみると、自分が割と田舎の出身だったからなのかもしれない、と都会に住んでみたあとになって思う。アスファルトに咲く花もある一方で、他にも普通に花はいっぱい咲いているし、あまり孤独感もないように見える。そっちにも咲くし、こっちにも咲いている、という感覚で、特別「強い」という印象がなかった。周りの環境が、都会であればあるほど、この言葉の重みも変わってくるのかもしれない。都会では、全体が天井だけ開いた巨大な建物みたいに思える。確か、ある演出家が自著のなかで、都会では身体だけが残された自然だ、と書いていた。雑踏のなかの孤独感というだけでなく、まさに身体感覚的に、孤独というものがのし掛かってくる。心身ともに深い孤独に追いやられた状態で「アスファルトに咲く花」を見たとき、より深く、あの歌詞の一節に感情移入できるのではないだろうか。

似たようなことで言えば、野良猫の印象も、都会に住んでからずいぶんと変わったように思う。昔は、家の庭に入ってくる野良猫には、祖母が敵視して追い返している印象もあってか、どちらかと言うと、マイナスのイメージを抱いていた。でも、都会の野良猫は、管理された空間のなかの数少ない自由の象徴であり、また、どこか寂しさも纏っている。

周囲の環境との対比が効いている上に、自分もいっそう追い詰められることで、仲間意識のようなものが芽生えるのかもしれない。

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