いつから導入? 「体育座り」の歴史と存在理由

体育座りの起源

誰もが子供の頃に経験する日本特有の座り方に、「体育座り」というものがある。

これは地域によっては「体操座り」「三角座り」とも呼ばれる。

体育座りとは、腰を下ろし、膝を両手で抱えるようにして座る姿勢で、海外には存在しない日本独自のものだ。子供たちは体育座りを学校など教育現場の指導で自然と身につける。

誰一人として、体育座りの存在理由について疑問に思うことはなく、教師は生徒に体育座りを行うよう指示し、生徒もまた習慣化させる。

そして、やがて誰に指示されることもなく、無意識のうちに自分から体育座りを行うようになる。

この体育座りが強要する姿勢は、子供たちに一つの振る舞いを強制する効果がある。

それは、「自縄自縛」である。

体育座りは、自分の手で自分を縛る。そして、肩をすぼめ、胸を圧迫する。教員や学校に対する「手も足も出ない」「息を殺している」状態を内面化させる。

こうした一つの「システム」によって、上位権力に対する「姿勢(メンタリティ)」が植え付けられていく。

いつもいつもこの形を強制することは、教員にたいする、ひいては学校、いや外界にたいする一つの身構えを恒常化することを強いることだ。

竹内敏晴『思想する「からだ」』より

精神的に追い詰められ、世界が重くのしかかってくるとき、我々の内部には、体育座りをする一人の少年がいる。

それは、「あの頃」に培われたものだ。

それでは、そもそも「体育座り」という試みは、一体なぜ、いつ頃から始められたのか。

体育座りの起源について、誰が、どのような経緯で導入したかといった詳細は、はっきりしたことは分からない。

ただ、体育座りの開始時期は、戦後しばらく経った1958年。文部省の通達によって徐々に浸透し、70年代にかけて全国に広がった。

教員の多くは、体育座りが存在する理由について考えたこともなかったと言う。

身体の管理は、精神の管理でもある。

気づかぬうちに誰もが、「体育座り」の存在理由について一つの疑問も持たぬまま(持てぬまま)、誰も歯向かえない、身動きがとれない、「自縄自縛」の精神だけが色濃く沁みついていくのだ。